2017.11.18/レッスン

R.StraussのAllerseelen 5回目 Zeitlose4回目
一人レッスンでした。

前回のレッスンで「それがいい」「それで出来ている」という師匠の言葉ををある意味頑なに拒否していたのですが、自分の耳で低く聞こえるから、という理由だと思っていたのです。
が、なんでそこまで拒否するの?って自分の気持ち探ったら幼少期のトラウマにぶち当たるという意外な展開が前回のレッスンから今日のレッスンの間にありました。
セルフカウンセリングも試みたんだけどいまいち上手くいかず、ちょっと練習するとき自分の脳みそだましてみました。
「師匠がいいといって出来た」のではなく「試行錯誤してたらそうなった」にしてみようと思ったわけです。やることは一緒でもラベルの文字を変えてみた、そんな感じ。
それで練習していくと息の量の考え方が全ての高さにおいて足元からひっくり返ったわけです。でも録音がなければその新しい息の量では音程が出て無く感じるのですが、録音して聴くと師匠が「それがいい」と仰った声に近いかなと。
で、その新しい息の量でこの2曲見ていってそれで歌いました。

結果的にこっちがいいという師匠とピアニストの奥様の答え。
まだまだ出来ないことあるけれど、こちらの路線で正しいみたい。
6月みたいに、また弁天様に行ったからだwとからかわれる始末。
いや、考え方変えました、と申告はしたけれど、御利益もあるのかなぁ。

そして
息で押す、喉から始まる、狭くなる、パレットに乗ってない
こうやって指摘されたときに自覚がない。
指摘されてそう?って思って、直されたとおりに歌ってみると、さっきとは確かに違うのね、という感覚はあるのですが、何がどうしてそうなったかは自覚がない。
自覚がないと直せない気もする。
録音しっかり聞き返してみないといけません。

詩の読み方は、いままで発音とかイントネーションとか状況とか心理の変化とか、いろんな切り口で教えてもらってきているわけですが、今回は
「そこの言葉のイメージがミルテのは狭いのではないか。もっと大きな広いイメージだよ、きっと」と言われてなにを?となる。
確かにそれ、そこ、で見てます、はい。
点を面にするというか、2次元を3次元で見るとか、そんな作業はしていなかった。
イメージ変えたらどうなるのか楽譜ともう一回相談です。

発音の面では子音と母音を分けての練習が足りないみたい。
発音しているつもりでも聞こえない子音が多いのだと録音を聴いて分かる。
師匠に子音が聞こえないと直されるんだけど、言ってるよ?と思っている箇所もあったのでこれは練習し直し。結局息の使い方なんだけど、母音を響かすのとは訳が違うからどうしても聞こえなくなりがちのような気がする。
子音の発音をフレーズのどの音、どのポジションで行うかというのは無防備で考えていなかった部分。こちらもチェックが必要。

ブレスの後の緊張感とppの時の強調の作り方、メロディーの中での文節の位置、これらも再度練習が必要。わたしがやると甘くなる。

次のレッスンは1ヶ月後。
この間に師匠の本番があるかならそんな感じ。
次こそ3曲目みてもらえるように練習しよっと。

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