セッション@U-NEXT

U-NEXTって見放題なんだ、とおもって洋画を調べだした。
これ見損ねたけれど評判がよかったやつよね?ってことで、みてみました。

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監督: デイミアン・チャゼル
製作: ジェイソン・ブラム
ヘレン・エスタブルック
ミシェル・リトヴァク
デヴィッド・ランカスター
製作総指揮:ジェイソン・ライトマン
ゲイリー・マイケル・ウォルターズ
クーパー・サミュエルソン
ジャネット・ヴォルトゥルノ=ブリル
脚本: デイミアン・チャゼル
撮影: シャロン・メール
プロダクションデザイン:メラニー・ペイジス=ジョーンズ
⾐装デザイン:リサ・ノルチャ
編集: トム・クロス
⾳楽: ジャスティン・ハーウィッツ
⾳楽監修: アンディ・ロス
チャーリー・イアン
原題:WHIPLASH 2014年アメリカ作品

出演:マイルズ・テラー(アンドリュー・ニーマン)
J・K・シモンズ(テレンス・フレッチャー)
ポール・ライザー(ジム・ニーマン)
メリッサ・ブノワ(ニコル)
オースティン・ストウェル(ライアン・コノリー)
ネイト・ラング(カール・タナー)
クリス・マルケイ
デイモン・ガプトン
スアンヌ・スポーク
マックス・カッシュ
ジェイソン・ブレア
カヴィタ・パティル

【解説】
⼀流のドラマーを⽬指し名⾨⾳楽⼤学に⼊学した⻘年が、⻤教師の常軌を逸したシゴキ指導によって⼼⾝共に追い詰められていくさまを、⼼揺さぶる熱き演奏シーンとともに描く興奮と衝撃の⾳楽⻘春ドラマ。主演は「21オーバー 最初の⼆⽇酔い」のマイルズ・テラー。共演は、本作の⻤気迫る演技でアカデミー助演男優賞をはじめ映画賞を総なめにしたJ・K・シモンズ。監督は、⻑編2作⽬の本作で⼀躍ハリウッド期待の新星となったデイミアン・チャゼル。
偉⼤なジャズドラマーを夢⾒て全⽶屈指の名 ⾨、シェイファー⾳楽院に⼊学したニーマン。ある⽇、フレッチャー教授の⽬に⽌まり、彼のバンドにスカウトされる。そこで成功すれば、偉⼤な⾳楽家になるという夢は叶ったも同然。⾃信と期待を胸に練習に参加したニーマンだったが、そんな彼を待っていたのは、わずかなテンポのずれも許さないフレッチャーの狂気のレッスンだった。それでも頂点を⽬指すためと、罵声や理不尽な仕打ちに耐え、フレッチャーのイジメのごとき指導に必死で⾷らいついていくニーマンだったが…。<allcinemaデーターベースより>

結論、ありえない。
これを評価した人たちは音楽をしている人なの?
ネタバレになると思うので以下は自己判断でお願いします。

鬼教師はいるでしょう。
それでも尊敬できることもあるでしょう。
けれど、これはない。フレッチャーのどこに尊敬を抱けるの?
ジャズでもピアニストあがりの指導者が、軍隊式に生徒をいじめてるだけ。
恐怖心とライバル心は彼がむりやり作り起こさせていたとしても、そこで切磋琢磨し音楽を磨いたのは生徒達自身でしかない。
では彼はいったい何を教えたの?わからない。
フレッシャーが専門としているピアニストをいじめているシーンがないのはどうして?
自分の専攻楽器が一番評価が厳しくなるはずでしょう?
なぜいじめるのがリズムセクションのドラムなのよ。
アンドリューに才能があるからいじめるというのであれば、フレッチャーが音楽を理解できて音楽を示していくシーンがないと普通理解できないのでは?
音楽を教えてもいない指導者にどうして尊敬の念が持てようか。
1箇所たりとも音楽を語ることなく厳しい指導が続くのはいじめにしか見えない。
リズムの合わせ方も音程も単なるテクニック。
聴き方もあわせかたもきちんとしたテクニックが存在するのに、力業で覚えろとはありえない。
手にまめを作ったから何?効率的で効果的な練習方法を教えられないから生徒がくるしんでいるだけでしょう?それを放置するのが指導者のすることか。
リズムも音程も指摘されてわかる、わからないは大きな才能の違いではあるけれど、わかるように指摘してあわせられるように指導するのが指導者の仕事。
どなりつけてできないならば出て行けというのは指導ではない。
この映画の中で指導者が生徒に理解させたことは「恐怖」以外のなにがあったの?
どこで音楽をつたえたの?
テクニックは重要だけれども、そのテクニックを駆使してどう音楽にしていくかでしょう。
それを語らないこの映画はわたしにとってはたんなるいじめを延々と見る映画でした。
ラストのセッションが素晴らしいと言うけれど、どこが?
知らない曲をふられ、できず、自分が自信を持って演奏できる曲にむりやり持って行ったアンドリューの執念だけで、音楽ではない。
たしかにドラムソロは素晴らしいけれど、じゃあそこでフレチャーはアンドリューに音楽を与えた?
わたしには見えないだけなのかしら。

いいなと思ったのは最初の方のシーン。
一人でひたすら理想の演奏を求めてアンドリューが練習しているシーン。
あれが音楽を演奏する者の姿であり、すべてだと思うの。
理想のドラムをたたくためにひたむきに一人で練習する。
あのシーンは好き。

人格者でなければ一流の音楽家ではないなんて言う気はないけれど、性格は音楽に表れるものなの。
若いといういいわけは出来ない、あの恋人との別れのシーンや実家での食事会での傲慢さは何の意味があったのか。音楽が荒れる兆候であっても、なぜか解決のシーンはない。
傲慢さをあらわしたいのであれば、事故で流血しながらドラムをたたくシーンだけでいい。
あれこそ傲慢。
セッションはバンドメン全員で音楽を奏でているの。アンドリュー一人の舞台ではない。音楽ではない。
あの状態で演奏してもバンドの音楽を壊すだけという判断が出来ない傲慢さは何も生み出さない。
私はこれから演奏する仲間がいなくなるとしか思わないけどね。
音楽は一人で演奏できないことが多い。だから仲間もアンサンブルも必要なの。
あのドラマーとは一緒に演奏したくないなと思うジャズメンが増えただけでしょうに。
音楽に執着するというのはあのシーンとは違うのよ。音楽を壊す行為を執着とは呼ばない。
そこをスルーして作った映画の意味がわからない。

個人的にはあり得ない映画。
そっか、わたしこの監督の価値観は苦手なんだわ。
覚えておこう。

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