2013.6.30/piano lesson

Czerny110leichte und fortschreitende Ubungen No21~23
Bach Invention No5 No2
Schumann Kinderszenen Op15-2Curiose Geschichte

3ヶ月ぶりのピアノのレッスン。
「僕弾けない!駄目な音しか出ないの」
ってピアノが言ってるんだけどなにしたの?
とバッハを弾き終わってちょっと先生に代わったら言われた。
弾けないけど、弾かなきゃいけない、って確かに思っていて
自分が弾けないのは普通のことだと思っていたのは事実。
でもそれをピアノが言ってるといわれるのはオカルトと呼びますか?
わたしが弾けないのは事実。
だから弾けないでしょう?
でもね、習ったから腕や手が痛むことなく弾けるようになった!
っておもってはいたのね。
出来るって思ってくれないと出来るようにはならない言われてしまったレッスン。
これは声楽でも言われていることで。
上手になりたいと思わないのよね。
でもきれいに弾けるようになりたいとは思う。
ただ今出来ないことはやっぱり出来ないことです、って思っていたのね。
100回に1回は出来るかも?
って思って欲しいといわれ結構どうしましょう?の心境。
出来るのレベルが低いのか、高いのか。
腕や体のどこも痛むことなく弾けたら弾けたで満足しちゃう。
音楽にしようというところには目が行かない。
このテクニックじゃ音楽にならんでしょう?と思っちゃうのよね。
歌の師匠に
「音楽は生き方だから」
て言われるけど、このネガティヴはどうしたもんか。
上手にならなくていいなら習わなくていいじゃない、とまで言われてね。
ちょいと考えます。
上手になるならとっくになってる。
上手になれないとはわかったけど、せめて小曲でいいからきれいに弾きたい。
そしてわたしがきれいだなと思えるピアニストとうるさいと思うピアニストの差がどこにあるか知るためにピアノも習い続けたいと思っていたんだけど、だめなんだなぁ、きっと。

楽譜を見たときに頭の中でなる音楽はわたしの手の届かないところにある。
だから自分が弾くときはそこは見ないで「音」を追うだけなんだと気がついてはいたけれど。
そこまで行かなくていいからステップ1つくらい登ろうとなぜ思えないかがピアニストさんは不思議らしい。
やって出来なかったときの失望を知らないんだろうとは思うけれど、出来なくても傷つくことなく繰り返すという、その辺の強さはやっぱり私にはないのかも。
やってみてそれでも指から出る音が変わらないなら、もっと低い次元で満足しちゃいけないの?って思う自分がいる。
でも指から出る音は変わるんだと信じて欲しいといわれてもなぁ、結構難しい。

最終的には
「この楽器の一番いい音を弾き出す」という練習にしない?といわれ
それならアプローチ的にOKなんだけど。

歌もね、声がないっていうと師匠が本気でそんなことはないとわたしの説得にかかるけれど
それに似てるんだよね、やっぱり。
駄目だけど弾いてちゃ駄目?歌ってちゃ駄目?
でも
それならなぜ習うの?
という問いかけに
少しでもきれいな音楽にしたいから
としか答えられない。
じゃあ、少しはきれいになるって思ってるんでしょう?といわれても
練習段階でそれを思えることは非常に稀。
ああ、あれも出来ない、これも出来ない。
でも猿回しの猿やマリオネットのように、言われるがままの練習を繰り返しているうちにいつかはちょっときれいになってるかも、って思っているのが現在。
そこから1歩進んでみようよ、というのは先生の視点なんだろうなぁ。
練習のときの心持だけで大きく変わるはずと言ってたけど結構そこは疑問もあるのね。いまさら弾けるようになるんだろうか?

と、こんなことを言っているとまた堂々巡りになるのでまずはそのピアノの一番いい音を出せるように、という練習からかね。
それかもーーっとレヴェルと落とすか。
バッハのインヴェンションでも結構落としたつもりなんだけどなぁ。
来月はもうピアノに行く時間がないので次のレッスンは早くて8月。
数日はちょっとぐずぐず考えてみようかなって思います。

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