2017.10.29/レッスン

Allseeren 4回目、 Zeitlose3回目 一人レッスン

レッスンの時って帰りの時間が全く読めないので基本電車で行きますが、今日は時間が早いのでバスにしました。
台風で遅れるかしらと心配したのですが、乗客も少なく予定時間より早く東京駅に到着。東京駅もいつもより人が少ない。さくっとランチしてから行きました。
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声の出し方がかわったというか、息の使い方がかわったというか、今までと違うところで声が出るのでそこに戸惑ったレッスンでした。
やっちまったぜ、これじゃピッチが届いていない!と思う声でOKがでるという矛盾。
ここをすりあわせるのが大変なのです。
後で録音聴いてみると、あ、上がってるんだ、と分かるけれど、歌っているときは低くないか?状態。
録音聞いてもピッチはいいけど、暗いというか、籠もっているというか、そんな風に聞こえるんだけれどなぁ、どうしたものか。

まだまだ不安定だけれど、出来たことを喜べと言われても、再現できなかったらだめなんだよね?というのが働くので、今何した?どこがちがった?で、ほんとにあの高さでよかった?ってなるから?ってなるんですよ。
つまり喜ぶなどと言う心理にはならない。
喜ばずとも、そっか、これでいいか、と思ってからどうやれば再現できるか考えろ、と言われても、これでいい、のこれが何?となるので????となるんだけれど、それがダメと言われてしまうのよね。
そんなことしているから、やった!できた!なんて思うわけがなくw
録音聴いてない状態で、それ!って言われるのがほぼほぼわたしがあっちゃ、やらかしたわ、全然低いじゃない、という箇所。ふむ。
耳がおかしいのか、聴いている場所がおかしいのか、感覚そのものを修正しなければならないのか、なんだろう?という現象。

2曲に共通して学んだのは、メロディーと言葉の関係。
R.Straussが言葉の抑揚をどのように考えて作曲したかという所を理解して歌え、と言う物だった気がします。
楽譜の音符の長さで歌うのではなく、喋ったときの言葉の抑揚が音符の長さとして書かれていると理解するとニュアンスが変わる。そう歌え、と言う箇所とか、もうR.Straussはその単語を強調するように作曲しているんだからやり過ぎない、とかとか多数。
師匠が歌ってみて下さるのはわかるんだよね、その違い。そう歌ったほうが、ぜったいいいの。わかるんだけど、わたしが歌うとやりすぎか甘いかどちらかでちょうどいいバランスにならない。
なのでこれは要練習。

わたしの今までの息の強さの考え方は捨てないとダメというのがまずの課題。
高い音になればなるほど、息の勢いと強さが必要だというのは間違っていないのだとおもうけれど、自分の声の「高い」は完全4度ほど上である、
なのでわたしが「高い」と感じる高さでその息の量を使ってはいけない。
それこそ1/3でいい。これは意識改革が必要(前回も書いた気がするw)

rの強さは単語のイメージにも左右されるので、舞台発音も強くする場所と、弱くする場所の区別が必要。

ファルセットみたいに息だけで出す音(ま、その音にはそこの表情があるんだけれど)それの出し方。
どうしても「声」が前に出るのでこれも要練習。

次は3週間後。
たぶんきっと一人レッスン。
次こそは準備してあるDu meines Herzens Krönelein見てもらおう。

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