東京交響楽団第74回新潟定期演奏会@りゅーとぴあコンサートホール

今年3公演目。毎回チケットいただく不届きもの。
いつも気にかけていただきありがとうございます。

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プログラム
♪サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲 第3番 ロ短調 作品61
♪ラヴェル:ダフニスとクロエ(全曲)

指揮/飯森範親
ヴァイオリン/大谷康子
コンサートマスター/ゲルブ・ニキティン
合唱/にいがた東響コーラス
合唱指揮/安藤常光

会場でプログラムをいただき、席についてコンマスを確認して一人で大騒ぎ。
ニキティン氏だぁ!
東響コーラスがあるからどうだろうなんていうのは一瞬に吹き飛んでしまうこのネームヴァリュー(ちょっと違うけど)
調弦の時から音が違うのよねぇ、ニキティン氏のヴァイオリン。
別格なんだよね、彼の音。

サン=サーンスのヴァイオリンコンチェルトはもうすばらしかったです。
黄色のドレスの大谷康子さんがとても嫋やかで女性らしいヴァイオリンでサン=サーンスの音楽を見せてくれました。
もともとここのオーケストラのコンミスでもあるわけでして、彼らとのコミュニケーションの取り方が綿密かつ繊細で、そのうえ、ニキティン氏との音楽の受け渡しはもう鳥肌ものでした。
メロディーの受け渡しにそつがない。指揮者の飯森氏の支持というより、アイコンタクトで大谷さんが各楽器に音楽をわたし、受け取る。
そこに「何か」が反応してぐんと音楽が3次元的に大きくなる。
とってもとっても素敵。
音楽を奏でる全員の気持ちが見えてくるような素敵な演奏でした。
終楽章トップのメロディーを彼女のやさしいヴァイオリンの音でどう料理するかが興味あったんですが、すいません、おこがましい想像でした。
音の色分け、できないわけないですものね。凛々しく、荘厳なメロディーも素晴らしかったです。

実はわたし、なんでそこまで指揮者の飯森氏が評価されているのかよくわかっていなかったんですが、このサン=サーンスでちょっと評価がかわりました。
音楽の動かし方がいいのね。
前回聞いた古典物はあわないのかも。フランス物は似合うのかなぁ、と指揮台の上でステップを踏みながら指揮をする彼を見て思ったのでした。

ラヴェルはコーラスがはいるからなぁ、と失礼なことを思いつつ鑑賞。
ニキティン氏はロシアのかただからやっぱりフランス物は雰囲気があっていいのですね。こういうのを目の当たりにするとフランスとロシアが近く、ドイツとイギリスが近いという音楽の地図分布を思い出したりします。
飯森氏もロマン派後期以降、フランス物が似合うのね、という指揮。
リズムを立てたジャズチックなラヴェルに仕上げていました。
下手な人がこうするといやみになるんでしょうけど、ちゃんとクラシックの範疇でジャズチックにできたのは賛否両論あるでしょうけど、ちゃんとラヴェルだったからわたしのなかでは○の演奏でした。

コーラスは言及していいのだろうか?
いろんな意見考え方があるんでしょうけど、わたしはこれでプロオケと共演する(させる)神経がわからない。
今回はアンケート用紙がついていたのでしっかり書いてきました。
悪口チックになるからちゃんと名前と住所書いてきた。
今頃ブラックリストに載ったね(ふっ)

音楽をなめちゃいけません。
なめてないっていうと思うけど、どうせ歌詞ないから楽とか思ったでしょ?とか思っちゃう。
いろいろ書くと毒になるから毒は最小限で止めておくけどさ。

ラヴェルの後のブラボーはオーケストラと指揮にならいいけど、合唱も評価されちゃうのでしょうね、とちょっと複雑でした。

なにはともあれニキティン氏のコンマスで、大谷さんのサンサーンスが素晴らしかったのでとてもいい演奏会でした。

チケットどうもありがとうございました。


毒なのでいやな人はスルーしてください。気になるって人は反転させてね。
コーラスの毒はここから↓

ヴォカリーゼだからってなめたねぇ、ってのがわかる。

4声重なった時のバランスがいいことがまずなかった。
ソプラノが弱い。テノールが強い。
これでハーモニーの構築は無理。
それとも指揮の先生がテノールを強調させたかったのか。
それならばわたしの勉強不足ですが、全曲を通じてテノールが強いというのはあり得ないと思う。

声の出だしがそろわない。
どんなにppで始まったって、声部がばらばらに始まったからって、各パートがまとまって出てこないのは理解できない。
小さい音が要求されるから小数人だけが声を出すとしてもそれがそろっていない。

たぶん150人程度で歌っているのでしょうが、誰一人歌う前の体の準備が見えない。
だから声の出だしがそろわないのだと思うけれど、準備が見えなくていきなり声がばらばらでてくるから驚くし、音楽の流れが乱れる。
オケメンバーですら(ま、管楽器もいらっしゃるけど)フレーズ前の息を吸う音がするのに、コーラスからは全く聞こえなかった。
息を吸う音を嫌ったとしても、普通に立っているその姿勢のままで歌うのはありなのか?
演奏する体とただ立っている体が一緒というのはあり得ないと思う。
だから声に反映されるのか?と思う。

ヴォカリーゼではあるけれど、音はa,u,mの種類があったのではないかと思う。
その歌い分けができていない。
数小節声を聴いて、あ、今は何で歌っていると後からわかる。
これはボリュームの問題ではなく歌い方。

ヴォカリーゼなので基礎力が見える。
15年やって、ほぼ毎年メンバーの移動がなくて(少なくとも半数以上は同じ人ではないかと思う)
レヴェルアップが聞こえないのは続けている意味があるのか?
そんな風に思っちゃう。

聴衆は音楽家のバックボーンを加味して音楽を評価するのではありません。
そこに出てくる、聞こえてくる音楽の評価がすべて。
わたしはやはりここのコーラスをよしとはできないのだな、と改めて思った演奏でした。

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